ある"景気対策"の現場にて

日本の会計年度は4月から始まる。
東北で木々の色づきが終わる10月は6ヶ月目の半期に当たり、木枯らしが道を埋める11月になると半期を受けた様々な指標が誌面を賑わせていく。
官庁による様々な経済統計もその一つ。
大変残念な事にというか、当然の結果というか。日本が低インフレとなって久しい現在、半期発表が華々しいという事は中々少なく、今時期になると毎年のように“景気対策”が政策に求められる。
それらは財政支出という数値に起こされ「財政支出〇兆円規模」という見出しとして世に出される。
もちろんただ使えばいいと言う訳ではなく「世の為人の為」となる分野に使うのが大前提だ。
昨今は幾度かの“水廻り災害”が国民の関心を集めているようで、公共工事の特に建設分野においては「防災・減災」を目的としての支出が許容される傾向にある。
そんなある日、“水廻り工事”に一定の実績がある我が社の電話が来たのは社屋が雪化粧をした頃。

「下水道設備の防災工事について相談させてください」
過去の工事で名刺を交換した、ある地方政府の職員であった。
「防災工事の見積もりが欲しいという事ですか?」
「まぁ最終的にそうなるんですが、どういう工事が流行りなのかなと」
「調査?それとも工事?」
「工事よりですね」
「んですか」

不思議な聞き方だが、偶にある。
公務員の定数削減に伴い設備専従の職員も減少。公共設備のほとんどは保守が外注されている。
設備の専門知識が無いため、具体的な改良の方針が立てられず業者に工事案を聞いて回ることも多い。
この時点で“何かしらの予算は立ちそうなものの工事案がない”という事情が透けて見えた。

さて、我が社は単価が高い。
当然のことながら公共工事は競争入札が原則であり、この時点では利益になる見込みが低く応えてやる義理は実のところ、無い。
とは言え工事内容によっては機器メーカーや工法を選ぶものもあり、それが入札の条件となれば応札する可能性はいくらか上がる。
連絡こそ向こうから来たもののようは営業の一貫である。
一度電話を切り、公共設備の大まかな工事経歴を収集した資料を手元に寄せる。
折り返し、話を続ける。

「どのような内容を所望でしょうか」
「どのような内容が考えられますか」
そう来たか。経歴帳をめくる。
「Aポンプ場の2号ポンプが大分年季入っているかと」
「ざっくりいくらくらいでしょう。税込で」
「工期は何時からですか」
やや間が空く。
「年明けから年度末まで」
「ええと」

件のポンプ場は街外れにある。
道路は悪くないが既に積雪期に入っており、現場入りには多少の経費が伴う。除雪が必要だ。
また、年明け1月は祝日が多く実労可能日数が少ない。社内行事もあれば休暇を取りたい職人も多い。故に通常でも高めの我が社の単価が更に上がる。
年度末には当然会計締めがあり、何より工事書類作成も期内に済まさねばならない。
加えて問題なのがポンプの納期。メーカーは何社かいるものの、工場での製作となれば少なくとも1ヶ月は見積もりたい。
工期、正味40日。納期、20日。諸試験を考えると厳しいか。

「確かあそこは搬入口が狭かったと記憶してるんですが」
「狭いというか、ほぼ無いですね」
「搬入のためにはつって(削って)いいですかね。予想外に崩れればそれも直す形で?」
「それも込みだとしたら、で」
「うーん」

過去の施工事例による懸念がある。
60年もののコンクリートを補修した際「表面だけ」の補修のはずがはつりを入れた所からボロボロと崩れ始め、化粧どころか何処までも掘れてしまう現場があった。
幸い緊急性は高くなく、補修のための十分な工期と予算も頂き金銭的な損害は無かった。しかし代理人が予定外に拘束され人員を押し出す必要に見舞われた。
件の設備もそれに近いほど経年しており、現状復旧にかかる見積もりは難しい。

「工期は延長可能ですか?」
「延長はなしで」

年度内にどうしても支払いを終えたいらしい。
となれば時間を買うしか無い。休日作業が前提になりまた単価が上がる。
皮算用だがざっくりと金額を出してみる。

「税込2000万なら間違いないかと」

皮算用に対しややあって「他の工事は考えられるでしょうか」と返される。
どうやら条件に合わなかったらしい。

それからいくつか提案を重ねる。
劣化している配管交換・・・危険な箇所が幾つかあるものの工期が足りない。
建屋耐震化・・・ほぼ済んでいる。
塗装・・・近年実施済み。再塗装にはまだ早い。
設備遠制化・・・予算が1桁足りない。
となると。

「耐震度とかの調査をされるのが現実では?」
設定された納期が厳しい上、機器費を考えると予算は心許ない。
我が社で出来ることがないとなり自然と"世間話"に移る。
「それが、2年前に総合的な"劣化診断"調査委託をしたばかりで、あんまり期間が経っていないんですよ」
「特に設備構成は変わってないですものね」
「そうなんですよ」

「ちょっと勿体無いですね。他の業者なら・・・」
「実はあらかた聞いた後でして」
あらまぁ。
何処も似たような回答だったようだ。

「出来れば・・・」
出来れば?
「何か作って残すのが良いと思うんですが」
「うーん、気持ちはわかるんですけど・・・」
沈黙。


それから約半月が経ったころ、幾つかの委託が同時に公告された。
予定価格は全て合計すると1500万ほど。
予算題目は「国土強靭化・経済対策」
仕様書の内容は「劣化診断」


次年度5月、1-3月GDP1次速報で経済成長率がほぼ0%から+1%少々となった事が伝えられた。
内閣府によるとGDPを押し上げた主なプラス要因は「公的資本形成」
すなわち「公共事業」であった。




「あーあ勿体無い、こういう現場こそ報道すればいいのに」
「報道したところで誰が気にすんだよ、はよ図面ひけ」

※フィクションです。